京都のように暮らしたい

日々の暮らし、感じたことを綴ります。京都に住むのが夢。

人間最期は

明日は通夜、明後日告別式で、
本日一日間が空きました。

父の入院生活はわずか三週間。
その間に、私はこれから物を減らすことを
決意しました。

なぜかというと、人間最期は何も物を持って
はいられないからです。
老後というか、いよいよになった時
必要なのは、やっぱりお金。
入院するにも、そして葬儀をするにも
お金がかかります。 
在宅でもそうでなくても
お金がかかります。
かなりの金額。
そしてもう一つ必要なのは、家族。
この二つだけ。

入院したら、入れ歯さえ外さなくては
なりません。
宝石も時計も身につけられないのです。
病室に持ち込める物はほんの僅か。

若い時、そして50代くらいまでは
物を持っていてもいいでしょう。
でも60代になったら物は減らさなくては。

几帳面な父は、物をキチンと整理整頓して
それはきれいにしていました。
でも家にはそれなりの物があります。
残された者はそれらと向き合わなくては
なりません。

私は父の最期を看取り、
やはり物は極力減らそうと決意しました。
そして家族がいて本当に良かったと
心から思いました。