京都のように暮らしたい

日々の暮らし、感じたことを綴ります。京都に住むのが夢。

何にもないと思ってた

うちは二頭犬を飼っていた。
そのうち、柴犬は今年の2月に、
16歳と6ヶ月で旅立った。

親の介護の時でさえ、パートの仕事を
辞めなかった。
介護保険制度もあったし。
でも犬のお世話に介護保険はない。
更年期の不調と、老犬の世話が重なり
私は仕事を辞めた。

柴犬は私にとても懐いていた。
若い時は気性も荒く、手強かったが、
老犬になると赤ちゃんのように可愛く
愛おしくてたまらなかった。
柴犬を失って、しばらくはペットロスに
陥った。
知らないうちに円形脱毛症になっていた。

仕事も無くし、犬を無くし、
私はカラッポ、何にもないと思ってた。
ごく平凡な暮らし。
なんの取り柄もない私。
ペットロスの時には
Twitterに「生きている意味もない」
とつぶやいていた。

この一カ月で私は大きく変わった。
柴犬を失った悲しみが、時とともに
癒されていった。
自分には何にもないのに、
物だけは溢れてた。
物を捨てていったら、
自分の中にいろんなものが生まれてきた。
希望、未来、夢。
物を捨てることは、過去のこだわり、後悔を
捨てることかもしれない。

何もないと思ってた自分。
カラッポな自分にも
希望、未来、夢の種はあったんだ。
物を捨てることがきっかけで、
その種が芽を出し、すこし伸びていった。
自分の家、家族、暮らしの中にも
楽しみ、しあわせを見つけることが
てきるようになった。
一カ月前の自分からは想像もつかない。
不思議な気持ちだ。