京都のように暮らしたい

日々の暮らし、感じたことを綴ります。京都に住むのが夢。

ものを捨てるたびに自分を肯定できる

この一ヶ月、物を捨て続けてきた。
はじめは劣等感のかたまり。
隣の芝生が青く見えて仕方ない。
いやだなぁ、こんな暮らし、こんな自分。

物を捨てはじめて、だんだん自分は
コレだ、これでいい、と思えてきた。
他人がなにをしていても、どんな風でも
うらやむこともなく。
自分の中に目標や信念みたいな物が
生まれてきた。
ひとはひと、自分は自分と割り切れる
ようになったのだ。
決して自己中心的ではない。
物を持つこと、ものを所有することに
生きがいを感じている人は
そうすれば良い。
否定なんかしない。
私だって、僧侶のような生活はできないし、
この現代社会で生きているのだから。
他を認めつつ、自分を肯定できるように
なった。

いつも「ゆるゆるミニマリスト」と言って
いるが、
私は、最小限の物で暮らすのは無理
だと思うからだ。
物の適量は人により違う。
うちには犬もいるし、なにせ結婚30年の
歴史もある。
最小限というわけにはいかない。
けれど、きちんと管理していける量の
物で暮らしてゆきたいと思っている。

過去は振り返らない。
後悔もしない。
悔やんでも過去には戻れない。
過ぎてしまったことは、やり直せない。
これから先のことを考えて生きていくことに
しよう。
何度も言っているが、思い出の品物は
ほんの少しだけ。
私の過去を語る物はいらない。
思い出や記憶はいくら持っていても大丈夫。

明日からも、自分の目指す暮らしを
実現するために生きていこう。
私はこうありたいと思う自分に
なれるように。