京都のように暮らしたい

日々の暮らし、感じたことを綴ります。京都に住むのが夢。

旅の思い出 その6

ショボい旅なのに長々と記事が

続いてしまいすみませんです。

 

さて、三井寺駅から20分ほどで

坂本駅、終点です。

途中、穴太という駅がある、

ここは穴太衆の石積みで

有名なところ。

ぜひ立ち寄りたかったのです。

 

琵琶湖の下坂本港から

比叡山への物資は運ばれました。

明智光秀坂本城

信長の比叡山焼き討ち。

歴史の舞台になった所です。

 

もう時刻は4時すぎ。

明智光秀ゆかりな西教寺

少し距離があり、あきらめて、

まっすぐ日吉大社へ向かいました。

途中には沢山の延暦寺の里坊。

そして穴太衆積みの石垣。

 

しかし、また私はここで後回しの

悪い癖が出てしまい、

大失敗をしたのです。

駅を出てすぐに生源寺があります。

ここは伝教大師最澄生誕の地。

立ち寄って御朱印をいただく

つもりだったのに。

「どうせまた駅に戻ってくるから、

その時で」

この後回しが痛恨のミス。

 

日吉大社まで、滋賀院門跡など、

幾つか見所もありましたが、

時間切れ。

とにかく日吉大社へ。

まっすぐな道程を緩やかに

登っていきます。

そこかしこに穴太衆積みの石垣。

日吉大社天台宗の保護神。

とても古い大社です。

日吉大社は、東京の日枝神社をはじめ

山王神社などの総本宮

山王鳥居という、珍しい鳥居。

日吉大社はたくさんの社殿が

ありますが、国宝。

その他重文も数多く、見応え満点。

日吉大社も信長の比叡山焼き討ちで

焼かれてしまった歴史があります。

それを思うと、坂本の街もそれは

数々の苦難の歴史があったのだと

しみじみ思いました。

 

比叡山の豊かな木々が

たっぷりの水を蓄えているのでしょう。

とても潤った空気感のある

日吉大社でした。

 

さて日吉大社を一巡りして

坂本駅に向かいます。

生源寺に着くと、

ガーン、門が閉まってる。 

やってしまいました。

最初にお参りすれば良かったのに。

がっくり。

 

そしてちょっと時間調整をかねて

お茶したい。

だけどなんにもなさそう。

駅前であたりを見回すと、

あった!珈琲の文字が。

 

続く

 

 

 

旅の思い出 その5

三井寺について、なにも調べずに

訪れてしまいました。

仁王門は重文です。

受付で拝観料を払い中へ。

ここで私はやらかしてしまったのです。

すぐに釈迦堂があったのですが、

「最後にここに戻って外へ出るはず

だから、最後でいいか」

これが間違いの元。

どうして数字の順番通りにお参り

しなかったのか。

 

私は本堂の国宝金堂に向かいました。

ここで御朱印。

そばには近江八景の一つ

三井の晩鐘がありました。

次に

天智天皇天武天皇持統天皇

産湯に用いられた泉

閼伽井屋をのぞきこみ。

左甚五郎の龍が見られます。

これにも伝説あり。

 

さらに進むとお目当の

弁慶の引き摺り鐘。

瀬田の唐橋の伝説の続き。

藤原秀郷が百足退治のお礼に

竜宮から貰ったのがこの鐘。

延暦寺三井寺は対立関係にあり、

延暦寺の弁慶がこの鐘を奪って

比叡山の山へ引き摺って行こうとすると、

鐘が「帰りたい帰りたい」と

泣くので?怒った弁慶が

比叡山から投げ落としたという。

その時の傷があります。

ここで鐘御籤という、面白いおみくじが

ありました。

お水に浸し、浮き出た数字で

おみくじをいただくのです。

 

一切経蔵を拝見し、

美しい三重塔、唐院と巡ります。

次は微妙寺。

御朱印をいただきました。

御本尊の十一面観音は

そばの収蔵庫で拝見しました。

毘沙門堂をすぎ、

西国十四番札所観音堂。

かなりの数の階段を登ります。

四国三十三所の霊場巡りを

なさっている方々が大勢

訪れていました。

 ここでも御朱印を。

あとは下り。

最後の水観音寺。

ここで御朱印。

しかーし、ここで気付きました。

御朱印が一箇所足りない。

御朱印は四ヶ所とのお知らせが。

あー、釈迦堂に戻られば。

先に進むと別の受付で、

外へ出てしまいます。

今来た所をもどるの?

ヒェ〜御朱印が、と騒ぐと、

受付のおじさんが、

「先を進むとまた仁王門で、

受付から再入所できますよ」と。

助かった〜。

急いで仁王門をくぐり、

釈迦堂へ。

御朱印を書いてくださった方が、

「先にほかを全部まわってこられたんですね。

これで全部御朱印揃いましたよ。」

私「最初にここ釈迦堂なのに

飛ばしてしまって」

 

兎にも角にも、御朱印を全て

いただくことができてホッとしました。

三井寺は本当に文化財の宝庫。

伝説もあります。

詳しくは三井寺のHPを

http://www.shiga-miidera.or.jp

 

もう二度とお参りできないかも

しれないのに、

御朱印をいただき漏れするところ

でした。

あー、危なかった。

さて、三井寺駅に戻って、

坂本へ向かいます。

続く

 

 

 

 

 

 

 

旅の思い出 その4

さてさて、旅の思い出 その4。

瀬田の唐橋でお昼ご飯を食べ損ね。

三井寺駅付近にはご飯どころが

あまり無さそうなことに、

一抹の不安を抱えながら

唐橋駅前から電車に乗りました、

 

京阪石山坂本線では

「輝けユニフォーム」と「ちはやぶる」

のイラストが描かれた電車が

行き来しています。

「ちはやぶる」の女の子、可愛い。

今回、近江神宮へ寄るかどうか

迷いました。

近江神宮前の駅で降りれば、

徒歩10分?15分?

タクシーは無いとのこと。

しかし今回は見仏ツアーだし、

坂本の街を見たかったので、

近江神宮は見送りました。

今度機会があったらぜひとも。

 

三井寺駅で降りて、三井寺へ向かう道すがら

食事処探し。

案の定、ほとんどお店は無く、

大きめな料亭は定休日です。

これはピンチ。

しかし、あった、食堂の幟、

お店はやっていました。

地元のお母さんがひとりで切り盛りしている

真新しい食堂。

お馴染みさんの営業のサラリーマン?

ご近所の顔馴染さん、

お客さんは次々と。

地元の言葉の会話を聞きながら、

元気の良いお母さんのテキパキした

仕事ぶりを見ながらお昼を食べました。

よかった、これでエネルギーチャージ。

 

三井寺へ向かう途中、琵琶湖からの

疎水が流れていました。

疎水沿いは桜並木。

桜の咲く頃には、どんなにか綺麗な

ことでしょう。

その時期に行ってみたいものです。

有名な観光地でなくても

素敵な所はあるものです。

そんな所を見つけながら

旅をしたいものです。

 

5分ほど歩くと三井寺へ到着。

三井寺、広い、山を一周して

登って降りる感じ。

私、三井寺の知識が全く無くて

今回初めて詳しく知りました。

お目当の弁慶が比叡山から

投げ落とした鐘。

どーして弁慶がそんなことをしたのか、

なるほど。

山門VS寺門の歴史。

三井寺は見応え満点。

三井寺編に続きます。

 

 

やまと尼寺精進日記

旅の話はひと休み。

今日の放送された

やまと尼寺精進日記 如月冬の楽しみ

楽しく見ました。

 

最近は乾物なんて使わないじゃないですか。

私が子供の頃は、毎日のように乾物の

おかずが食卓にありました。

ヒジキ、切り干し大根、干し椎茸。

私の唯一の自慢は、

この歳でも骨密度99%なこと。

保健婦さんに

「子供の頃の食生活が良かったからですね」

と言われました。

今は亡き母に感謝です。

 

昔は今のようにコンビニもなく。

おかずはなんでも家で作りました。

おからとか、昆布の炊いたのとか。

 

今日の尼寺でも干した野菜や

果物まで干していました。

お料理は栄養満点で、

健康食そのもの。

サプリメントなんて要りません。

 

いつもニコニコよく笑い、

ちゃんとした物を食べる。

それが一番大切なことなんだなぁと

毎回感じます。

 

犬の名前は「オサムちゃん」

番犬しっかりね。

 

旅の思い出 その3 追記

瀬田の唐橋ですが、

もちろん今のは現代の橋です。

忘れてましたよ、

橋の擬宝珠を巡る千利休古田織部

お話。

 

壬申の乱藤原秀郷の百足退治、

橋の下から出できた不思議なお地蔵さん。

などなど。

瀬田の唐橋は伝説、逸話の宝庫です。

 

詳しくはこちらをお読みくださいませ。

http://ameblo.jp/taishi6764/entry-12214916425.html

 

神話のような、伝説のようなお話の

橋を日々渡り、そこに暮らす人々が

なんともはやうらやましく思いました。

夕陽が綺麗に見えるそうで、

その景色が有名だそうです。

 

 

 

 

旅の思い出 その3

旅の2日目。

京都旅行と言っていますが、

祇園や嵐山、東山などには

まったく立ち寄りません。

たくさんの観光客、中国人団体。

観光客相手のお土産店。

なんだかイヤで行かないのです。

 

2日目は琵琶湖西岸?

つまり京阪石山坂本線の旅です。

東海道線で京都から石山寺駅へ。。

20分くらいの近さです。

駅前からバスで10分ほど。

10時前には石山寺に着きました。

33年に一度の御本尊の御開帳は

昨年でした。ホントに残念。

実は主人と二男に昨年御朱印を

もらいに石山寺にいってもらったのですが、

乗り鉄の二人、あちこち電車に乗って

いるうちに閉門になってしまって。

そこで私自ら石山寺へ。

 

石山寺といえば紫式部源氏物語

国宝の本堂、多宝塔をゆっくりと見学。

本堂では別料金で内陣に入れます。

間近で重文の毘沙門天増長天持国天

拝見しました。

本堂のお供え物にびっくり。

菱形の紅白の寒天。

初めて見ました。

お菓子や果物の代わりにお供えする

らしいです。

 

石山寺全体をゆっくりと歩いて回りました。

そして石山寺山門前のバス停から

バスで唐橋駅前へ。

そうです、有名な瀬田の唐橋へ、

せっかく来たんですから

橋を渡りたい。

壬申の乱にはじまり、

藤原秀郷の百足退治。

龍神の伝説。

そういえば戦国時代には、

敵の追っ手を防ぐため、

瀬田の唐橋を焼き落とす話が。

瀬田の唐橋は数々の伝説や

物語に彩られています。

お地蔵さんや、小さなお社も

お見逃しなくです。

 

うなぎを食べる目論見は、

お店が水曜日定休であえなく消えてなくなり。

唐橋駅前から電車にのり

三井寺駅へ向かいました。

つづく。

 

 

 

 

旅の思い出 その2

今日は二本立て。

旅の思い出その2。

東寺〜羅城門跡〜矢取り地蔵寺

 

東寺は説明するまでもなく

皆さまご存知のはず。

今回はちょうど五重塔の内部

特別公開をやっていました。

五重塔内部の見学は貴重な体験。

 

しかし、私の本当のお目当は

矢取り地蔵寺

東寺の南大門から通りに出て、

西に5分ほど歩くと、

羅城門跡とその入り口に

矢取り地蔵寺があります。

 

羅城門跡は、周りは住宅、小さな公園に

羅城門跡と刻まれた大きな石碑。

きちんとした説明板。

名残も何もありません。

 

そして誰もご存知ない、矢取り地蔵寺

詳しくはこちらのサイトを

http://s.kyoto-np.jp/info/sightseeing/mukasikatari/080131.html

 

今は跡形もなく滅んだ西寺。

羅城門跡からさらに西に進んだ所に

ありました。

何かとライバル関係にあった

東寺と西寺。

 

空海の暗殺を企んだ、西寺の守敏。

空海を待ち伏せした守敏の放った矢。

空海の身代わりに矢を受けた黒衣の僧は

実は地蔵尊だった。

この伝説を知ってから、

是非とも矢取り地蔵寺を訪れたいと

思っていました。

念願叶って訪れることができて

感慨もひとしお。

 

それにしても、空海の数々伝説。

なんとも心ひかれるものがあります。

しかし矢取り地蔵寺を訪ねるなんて

私くらいかな?

 

この後、暗くなってから京都タワー

展望台に登りました。

若い人たちがたくさんいました。

夜景、綺麗でしたよ。

 

旅の1日目は、

アンティークアクセサリーと

矢取り地蔵寺で盛り上がった

私でした。

 

旅の2日目へと続きます。