「五木寛之 百寺巡礼 2016」
昨晩、思いもかけずにBS朝日で
「五木寛之 百寺巡礼2016」
を観ました。
最初になんと室生寺。
また涙腺がゆるんで。
鳥取の三仏寺。
本当に不思議「投げ入れ堂」
その存在は有名。
あまりにも謎。
行けるものなら行きたいところですが、
あの険しい山を登るのは無理。
私はたぶん生涯訪れることはないでしょう。
残念です。
私は思うのです。
仏像は本来あるべき場所にあり続け、
そして私たちはそこに仏像に
会いにいくのが、本当の姿。
諸般の事情で博物館に収められるのは
仕方のないことと重々わかっています。
私は室生寺のことを検索していて、
あるブログに巡り会いました。
それは本来室生寺にあったかもしれない
地蔵菩薩が、近くの安産寺という
小さなお寺に安置されているということ。
詳しくはこちらのblogで
http://butszo.jp/2013/12/1590/
仏像というのは、それを守る人間が居て
はじめてその場所にあり続ける。
その地蔵菩薩が人々に永遠に守られて
その姿でその場所にあるように
祈らずにはいられません。
人は仏像を前にすると、
自然に手を合わせ、拝みます。
きっと私たちの遺伝子に
そのことが組み込まれているのでしょう。
そんなことを考えました。